「神秘の鯛」の理由

「神秘の鯛」の理由

天津小湊は、日蓮聖人ご誕生の地。この鯛の浦の鯛は日蓮聖人がご誕生した際に起こった不思議なでき事の一つ。鎌倉時代から村人はずっと鯛を「日蓮聖人の化身」と神聖し守ってきました。深海でしか見れない鯛謎多き不思議な鯛数々の困難を通りながらも住み続けている「神秘の鯛」鎌倉時代から続く不思議な出来事をあなたの目でご覧ください。きっと不思議な体験に驚く事でしょう。

鯛の浦の鯛は、日蓮聖人ご誕生した際の不思議な出来事の一つです。
その様子をアニメーションでご覧ください。全てはそこから初まりました。

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鯛の浦の鯛が「神秘の理由」には様々な理由があります。下記をクリックして
謎多き鯛がいかにして漁民達に「神秘の鯛」と言われ守られて来たかをご覧ください。

  • 神秘の鯛と日蓮聖人

    1.神秘の鯛と日蓮聖人

  • 神秘の鯛と漁民との関わり

    2.神秘の鯛と漁民との関わり

  • 神秘の鯛は特別天然記念物

    3.神秘の鯛は特別天然記念物

神秘の鯛と日蓮聖人

神秘の鯛と日蓮聖人

  • 日蓮聖人12歳の時(幼名、善日麿)日蓮聖人12歳の時(幼名、善日麿)
  • 日蓮聖人は、貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に降誕しました。

    「日蓮聖人誕生の際の不思議な出来事」
    その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」、 時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」、 海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」という不思議な「三奇端」が伝えられています。
    まさしくこの時の鯛の群れが「神秘の鯛」 の初まりだったのです。

    聖人は幼名を善日麿といい、11歳の時に、勉学のために清澄寺へ登り、自ら感得した釈尊の真意を世に顕わすため布教を開始されました。
    その後、日蓮聖人は、「立正安国論」を唱え、幾多の逆境にあいながらも生涯、法華経を様々な形で世に広めていきました。

    鎌倉時代に日蓮聖人がご降誕されて平成33年で800年になります。
    鯛の浦の鯛も永い年月に渡り、妙の浦の地に住み続けています。

    明応・元禄の二大津波によっていちじるしい変化をとげた当地の奇岩、奇島、名眉な風景、不可思議な現象の鯛の浦等に、日蓮宗門の一高僧が、聖人の主唱された妙法蓮華経の五字を配し妙の浦、法が台、蓮華が淵、経巻掘と名づけました。
    鯛の出現するこの“鯛の浦”は、ほぼ発音が同じなので、妙の浦と名づけられたといわれています。
    住民はこの命名以後、この浦を“妙の浦”と呼び親しんできたのですが、観光的な名声は“鯛の浦”のほうが高く、特別天然記念物指定での名称も文化庁は“鯛の浦”としております。
    観光的名称は“鯛の浦”地名的名称は“妙の浦”とご理解いただきたいと存じます。
  • 誕生寺誕生寺、祖師堂 世界一の鬼瓦が有名
    畳21畳分・重さ約2.8トン
    日本のかおり風景100選
    清澄寺日蓮聖人が12歳でこの山で勉学に励み、16歳で得度し虚空蔵菩薩の前で修行されたお寺です。