小湊、妙の浦タイの葬式

 鯛の葬式は、昭和十年頃妙の浦のタイが冷たい潮にあって死んで、小弁天島の砂浜に打ち上げられたことから始まります。祓部落の人たちが、誕生寺のお坊さんにきてもらって、砂浜でタイのお葬式をしました。当時の人々はまだまだ謎めいたことを大事にする風習が強く、信仰心も厚く、神事、仏事には特に気を使っていて、神がかりの人が大勢いました。
 それから約三十年過ぎた昭和四十二年三月のとき、
 その日の朝、磯を見回りに行った主婦が、
 「おいねこったさぁ〜」
 「あんだっぺねぇ〜」
 「大きなてえだね」
 「あいよ、そだねぇ〜」
 「あんで死んだんかねぇ〜」
 「妙の浦へしらせてくるよ」
 「あいよ たのんだよ」
 「おいねこったさ、たのむよぉ〜」
 「あいよ、行ってくるよ」
 これはタイの死んでいるのを発見したときの主婦たちの会話です。
 「困ったことだね」
 「どうしたんだろね」
 「大きなタイだね」
 「そうだね」
 「どうして死んだんだろうね」
 「妙の浦遊覧船組合へ知らせに行くよ」
 「困ったね」
 「そうだね、行ってくるよ」
 この頃の会話にはなおせばこうした会話になります。当時はまだ房州弁で都会の人には理解にまよう会話が交わされていました。
 浜に残った主婦たちは、背負籠をおろしタイを見守っていました。
 「でっけね」
 「五十センチぐらいあるかね」
 「まだぴかぴかひかってんねぇ〜」
 「あんで死んだんかね」
 「かわいそうにね」
 妙の浦のタイは、日蓮聖人誕生のとき不思議な事があり、これを聖人生誕三奇瑞と伝えられています。
伝えによれば、一つめは、聖人が産声をあげたとき、突然、庭先から清水が沸き出し、この清水で産湯をつかったと言われています。これが世に言う誕生水です。
 二つめは、ご生家近くの砂浜にときならぬ蓮華の花が一斉に咲き誇り、以来この砂浜は「蓮華ヶ淵」と呼ばれ、蓮華の花のように美しく輝く砂は「五色の砂」と呼ばれています。
 三つめは、聖人誕生を祝福するかのように、海面近くにマダイが群れをなして現れ、その後、この一帯に生息するタイは、日蓮聖人の化身、分身として尊信され禁漁が守り続けられ、大正十二年(一九二二)に国の天然記念物に指定され、手厚く保護されています。
 小湊では、三奇瑞以降、かたくなにタイの禁漁を守り、今もって小湊の漁業者にタイ釣りの漁法はありません。それだけにタイへの思いは強く、タイ一匹といえおろそかにはしないのです。
タイの寿命は学術的にも長寿の魚類で、おおそ五十センチ位ですと二十年は経っているようです。小湊では、タイは禁漁なので漁家の主婦でも、こんな大きいタイは見たことがなかったので、みんな一様に驚いていました。
 主婦からの知らせを聞いた遊覧船組合の役員たちが飛んできて、いろいろと話し合っていました。役員たちも長いこと遊覧船に携わっているが、タイの大きさに一様にびっくりしていました。。
 「あんにしてもよう」
 「寺から坊さんにきてもらってよぉ、お経をまずあげてもらったらどうでえ」
 「おめえ、寺にいってこおよ」
 「あいよ、坊さんにたのんでくるよ」
 「たのむよ」
と、こんな会話が聞こえてくるような雰囲気で、だれもがタイは日蓮聖人の化身と思っているだけに、やたらな事をして罰があたらないように、細心の気配りをしていました。
 小湊では昔から、タイを内緒で釣って食べて罰があたったという話しが伝わっていました。
 ある人がタイを隠れて釣り、家に戻って一人で刺身にしたり、塩焼きにしたりして、
 「うめえ、うめえ」
と喜んでいるうちに、不思議なことにいつの間にか、いかにもタイが泳いでいるような格好になってしまい、狂ってしまったとか。
 夜中に磯に入りタイを釣って、これまた「うまい、うまい」と食べ過ぎて、それからは夜に目がきかず、生涯、夜の外出が出来なかった人がいたとか、そのほかあまり町中の評判になって、住みづらくなって夜逃げしてしまったとか。
 タイのことになると小湊の人は、「触らぬ神に祟りなし」と、絶対にでじゃばることなく、そんなときは年寄りに相談してから対応をしていました。
 さあ、役員同士の話し合いが決まり、遊覧船組合が施主となって、人間の葬式と同じように葬式をすることに決まりました。
「おめえ、寺にいってこおよ」  「あいよ、坊さんにたのんでくるよ」
 「たのむよ」
と、こんな会話が聞こえてくるような雰囲気で、だれもがタイは日蓮聖人の化身と思っているだけに、やたらな事をして罰があたらないように、細心の気配りをしていました。
 小湊では昔から、タイを内緒で釣って食べて罰があたったという話しが伝わっていました。
 ある人がタイを隠れて釣り、家に戻って一人で刺身にしたり、塩焼きにしたりして、
 「うめえ、うめえ」と喜んでいるうちに、不思議なことにいつの間にか、いかにもタイが泳いでいるような格好になってしまい、狂ってしまったとか。
 夜中に磯に入りタイを釣って、これまた「うまい、うまい」と食べ過ぎて、それからは夜に目がきかず、生涯、夜の外出が出来なかった人がいたとか、そのほかあまり町中の評判になって、住みづらくなって夜逃げしてしまったとか。
 タイのことになると小湊の人は、「触らぬ神に祟りなし」と、絶対にでじゃばることなく、そんなときは年寄りに相談してから対応をしていました。
 さあ、役員同士の話し合いが決まり、遊覧船組合が施主となって、人間の葬式と同じように葬式をすることに決まりました。

 お葬式となると早速、誕生寺から、導師のお坊さんが見えて臨終のお経が唱えられました。
 しばらくすると、組合から葬式のお触れが出たので、祓・小船谷・番場・上の川・田町の各部落の鯛の浦に関係する住民と、誕生寺門前の茶店・旅館・土産物店などの人たちが、ぞくぞくと集まってきました。こんな時に、葬儀に遅れては失礼になると、また罰があたっては大変と、人々は先を争うように駆けつけてきました。
 導師はうやうやしく唱題を唱え、
 勧 請(かんじょう)
 開経偈(かいぎうげ)
 運 想(うんそう)
 唱 題(しょうだい)
 宝塔偈(ほうとうげ)
 回 向(えこう)
 と、さながら人間のお葬式と全く同じように儀式がすすめられました。
 南無妙法蓮華供のお題目は、 ドンツクドンドン、ドンツクドンドン、ドンツクドンドンと太鼓に合わせて力強く唱え、神がかりのようにひたすら南無妙法蓮華経と唱え、しばらくの間、妙の浦は唱題の声と太鼓の音で、波の音も消えてしまいました。
タイを保護してきた伝統は、こうした信心から発生するもので、法律や規制ではすまされるものでないことが良くわかると思います。
 葬儀が終わると、タイが永年住みなれた妙の浦から、誕生寺の埋葬地へと葬列が始まりました。
 先導は太鼓の組、続いて施主の役員、お坊さん、タイを箱に入れて列に入った遊覧船の船頭、そしてそのあとには、駆けつけてきた門前の人たちなど、まるで人の葬式と同じように進んで行きました。
妙の浦海岸は現在のようにコンクリートの遊歩道がないので、人々は足元に気をつけながら、ドンツクドンドン、ドンツクドンドン、ドンツクドンドンと太鼓をたたきながら葬列を組み、誕生寺めがけて進んでいました。  行列の後方には、あのタイを発見した主婦たちが、葬式に使った用具の後片付けをしていました。
 主婦たちは、葬列を送ったあとあらためて、
 「いったねぇ〜」
 「あいよぉ〜」
 「ああ、胸がすっとしたさぁ〜」
 「あいよねぇ〜」
と大事な役目を果たしたことに、一様に胸をなでおろしお互いに気苦労を労りあっていました。タイの葬式なんて、めったに巡りあえるものではないので、朝からの興奮がまだ覚めないようでした。
 葬列は誕生寺の総門から入り、土産店の前を通っていきました。
 奇妙な行列を見た観光客は、売店の前で立ち止まり、
 「何の行列ですか」
 「ええ、タイの葬式ですか」
 「ほんと?」
と一様にびっくりしていました。
 境内に入ると先日の二月十六日の誕生会が終わったあとで、赤い雪洞が立っていました。まるで日蓮聖人像をお祀りする祖師堂の大屋根が葬列を迎えているように感じました。
 葬列は龍王堂をすぎ、弁天池の辺りに立つ八大龍王碑前で止まりました。
 八大龍王は、仏陀の説法の座に列した護法の善神とされる、八人の龍王を総称するといわれています。
特に漁業者は航海安全、豊漁を祈ることが多く、信仰が厚いのです。ここでは、八大龍王碑を別名「タイ塚」と呼び、タイの遺体は塚の後方に埋葬しました。
 タイ塚の前にうやうやしく祀られたタイに、参列者一同が埋葬の儀式を行ない、導師が唱えました。
八大龍王の御前において、妙の浦のタイの菩提を厳唱し、南無妙法蓮華経を三唱して、ながい葬儀が終わりました。
人々が去って塚に埋葬が済むとタイの面倒を見た船頭たちは、お坊さんに塩で身体を浄めてもらい遊覧船に戻っていきました。一様に大役を果たしてホッとしていました。世界的にもタイの葬式は未知の世界。誕生寺に参詣に来た人たちは驚いたことでしょう。祖師堂では、タイの葬式を見て感動した家族が静かに祈りをささげていました。
 さて一夜あけた翌日、昨夜よく冷え込んだとおもっていたら、雪が舞い降りたらしくめったに見られない雪景色に出会いました。
 外房州は昔から二月三月に雪が舞い、先人たちは「逆さ寒」と呼んでいます。
 十年に一度あるかないかの雪景色、大弁天島も雪化粧し、入道が鼻手前の山肌には雪が積もってまるで綿のように見えました。
 昨日、ここ妙の浦は一日中、天地がひっくり返るような大騒動でしたが、それもどこに消えてしまったのか、静かに潮騒の音のみが耳に響いていました。上げ潮になったのか、磯の上の雪が次第に溶けていきました。
二度と逢えないかもしれないタイの葬式に出会う事ができて本当に良かったと思いました。

合 掌